スペシャルティコーヒー豆 AKAGAWA

コーヒーの師(2)

職人になるな、何でも出来る者になれ

サントス、コロラド社での一日目、さっそく小室氏が、

「タバコはやめろ。 コーヒーの仕事にタバコは禁物である。 特にコーヒーの微妙な味を識別出来ない。 ブラジルにコーヒーの勉強に来たのであるから、たった今からやめろ。」

と命令する。

その時はまだ一日目であり小室氏の事を良く理解しておらず、私は、

「タバコをやめるくらいなら、コーヒーをやめる。」

と反論すると、彼はいともあっさり、

「それじゃおまえは、タバコを吸いながらコーヒーの味を覚えろ」

と許可がでる。 この事以後何かに付けて、彼は私に向かって、

「おまえは生意気なヤツだ」

と何事に付け一言よけいに付く。

姿勢を正しく上品に 小室氏の躾のおかげで、上品に食事をする筆者
<姿勢を正しく上品に>

午前中にコーヒーのカップテストを200杯くらいやると、もうお昼である。 当時ブラジルの昼食時間は12:00〜15:00くらいまであり、皆自宅にランチをしっかりと食べに帰る。 我々はレストランに行き昼食である。 私は子供の頃から親にご飯を食べるときは、おしゃべりをせず黙って早く食べなさいと躾られ、 ブラジルの山の様な美味しい料理を前にして、大口を開け、むしゃむしゃと10分くらいでお腹が一杯になると、 小室氏が、

「口を開けてむしゃむしゃ音を立てて喰うな、話をしながら手を休め口をナフキンで拭け」

とうるさく言う。 なるほどそうしないと、3時間くらいのランチタイムが持たない。 以後、彼の躾を出来るだけ実行する。

コーヒー袋を運ぶ労働者 60kgのコーヒー袋を頭に載せて、 倉庫からトラックに運ぶ労働者

サントスでのカップテスト研修が終わり、コーヒー産地へ車で移動中、 小室氏が珍しく真面目な顔で、

「赤川、おまえナァ職人になるなよ、コーヒーを造る以外のどんな仕事も出来る様になれ」

と言う。 私はコーヒーを造る為に、会社から派遣されて来たのだから、当然コーヒーを勉強して、 帰ったら立派なコーヒー製造の職人になろうと意気込んでいた。 ましてコーヒー製造以外の仕事の事は何も分からず、考えてもいなっかたので、 その当時は彼の真意が理解出来なっかた。 10年くらいでコーヒー製造に目鼻がたった頃、ようやく小室氏の言った事が理解出来。 以後自分の信条にする。<職人にならず、何の仕事も出来る様になろう>

その後、工場長を兼務しながら、東北、長野方面の営業を担当し、 本社勤務後は業務部長、総務部長、営業本部長、直営店統括部長を努め、 33歳で取締役、35歳で常務取締役、38歳で代表取締役専務に就任したとき、 小室氏からハガキを貰う。その内容は、

私の目で日本で赤川専務にお会い出来た事は大変な喜びで、
貴兄は親の七光りでなった専務ではないだけに、
どれほどうれしかったか訳りません。
おめでとう赤川専務。
1)会社をつぶさない事
2)会社を自分達の能力の範囲内で大きくして行く事
3)ウヌボレない事
4)身体で仕事をする事

等の助言でした。

今でも大事に持っています。 そんな小室氏も2002年に永眠しました。 最後にお会いしたのが、2001年9月サントスでした。 安らかにお眠り下さい、小室先生。

記:2004年3月

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