スペシャルティコーヒー豆 AKAGAWA

見直された高品質 グアテマラコーヒー

初めての二人旅

1988年7回目の海外である。 今までは団体、または3〜5人のツアーであり、最低一人は言葉を話せる者がいた。 今回はエムシーフーズ(当時は住田物産)の土屋良一氏との二人旅である。 土屋氏は以前船舶の国際航路の船員をしており、東南アジアを中心に海外の経験があり、 言葉の方は彼に期待していた。 私は得意なのは日本語だけで、英語も、スペイン語も、ポルトガル語も レストランでお酒を追加オーダーするくらいしか話せない。

「プリーズ ギブ ミィ ァ ビアー」=「 ポルファーボール ウノ セルベッサ」=「ビールを一本下さい。」

この言葉だけは身体にたたき込んだ。 なぜなら最初はアテンドする人が飲み物は何にしますか?と聞くが、 必ず追加する私には必要な言葉である。

そんな言葉の不安の他に、群馬の山中で日航機の墜落事故があり、 数百名が亡くなった事故があったばかりで 、家族の心配もそこそこに、 グアテマラ、メキシコ、ペルー、ブラジルの旅に9月18日出発する。

土屋良一氏(右)と筆者 メキシコシティ ソカロにて 土屋良一氏(右)と筆者(左)の二人旅
メキシコシティ ソカロにて

まずはJALの直行便でメキシコへ。 成田を発ってバンクーバー経由14時間でメキシコシティに到着する。 メキシコは5年振りの2回目であり、空港を出たとたん、 排気ガスの臭いが懐かしく感じ、メキシコに来たなと実感が沸く。 メキシコ三菱商事の白根氏の案内で夜はスペイン料理を食べ、 その後メキシコの伝統音楽マリアッチを聞きに、ガリバルデ公園に出かける。 そこには3〜4人グループのマリアッチを奏でるグループが沢山おり、 3曲30,000ペソ(1800円)で演奏してくれる。 お腹も満腹で自分達はベンチに座り、その前で3人のグループがマリアッチを弾く。 何か自分が偉くなった様な錯覚を覚えた瞬間であった。 翌朝早くにグアテマラに飛ぶ。

涼しく、しのぎやすいグアテマラシティ

初めてのグアテマラである。 空港にグアテマラ三菱商事の河村章二郎氏が出迎えていた。 空港はグアテマラシティの中にあり、市街の中にある空港に降りたのは初めてで、 自分の常識では空港は郊外にあるもの信じてた。 空港を出ると首都にもかかわらず、大変小さく日本の地方都市並である。

早速、河村氏から、

「グアテマラはここ一週間大変治安情勢が悪く、 大使館よりシティ以外の地方出張は危険であるためダメ、夜の外出もダメ。」

と注意がある。 現在中米6ヶ国(ホンジュラス、サルバドル、ニカラグア、コスタリカ、パナマ、グアテマラ)の会議があり、 右翼と左翼の対決によるテロがあり、市内各所に軍隊による警備が物々しい。 当初我々が宿泊を予定していたグアテマラ一のホテルCamino Realは中米各国のVIPに専用され宿泊出来ず、 他のホテルに泊まり、翌日ようやくCamino Realに移動する。 今回出発前の悪い予感が始った。

グアテマラ三菱商事河村氏と筆者 グアテマラ三菱商事河村氏(中央左 グアテマラ永住)と筆者
コーヒー農園にて

グアテマラシティは大変標高が高く涼しく凌ぎやすい。 ちょうど日本の軽井沢と同じ様な気候である。 夜はシティでただ一軒の日本料理の店「レストラン蘭」に行く。 オーナーは元グアテマラ日本代理大使を勤めた方がやっている。 さっそく日本酒と刺身、焼き鳥、天ぷら、茶碗蒸しでグアテマラでの一日目がスタートした。

日本大使館からの通達により、コーヒー農園の視察はシティから約1時間の、 世界遺産の街アンテイグァ近郊と、大変素晴らしい湖アマテイトランの2カ所を見学する。 宿泊しないと行けない地方や、帰りが暗くなる距離は山賊が出るおそれがあり、 シティを中心とした範囲の視察のみする。

アマテイトラン湖 アマテイトラン湖 中央は火山

ピストルとマシンガンに守られた視察

グアテマラ滞在4日目に、シッパー(コーヒー輸出業者)AMPEX社を訪問すると、 入り口にはピストルを構えた警備員が立っており、いやな予感がする。 社長に挨拶をすると、「皆さんに是非見て貰いたいコーヒーの施設がある、 車で2時間くらいの距離で、今は我々シッパーが大変テロに狙われやすいので、 2人のガードマンを伴って行きます。」 現れたのはピストルとマシンガン、ピストルとショットガンを携えた、 アメリカ映画に出てきそうな小柄だが、ガッシリとした屈強そうな、 苦虫をかみ殺した顔つきの2人のボディガードである。 彼等は我々が施設を視察中、2人で我々を囲み、マシンガンとショットガンを構えていた。 一瞬私と土屋氏が襲われる様な錯覚に落ちた。 視察も終わり是非一緒に写真を撮りたいと、ボデイガードに頼み、カメラに収まる一瞬だけニヤリとした。 プロフェッショナルとは映画の世界だけでは無かった。

ボディガードが帯同してのコーヒー施設見学 治安が悪いため、ボディガードが帯同してのコーヒー施設見学

再認識させられたグアテマラコーヒー

3泊4日のグアテマラの旅は、想像以上に素晴らしかった。 一つはグアテマラコーヒーに対する認識がすっかり変わった。 今までグアテマラコーヒーは中米産コーヒーの一つでしかなかった。 と言うのも日本に入ってきてるグアテマラコーヒーは、中級品かその上クラスであり、 それでも他の中米コーヒーからすると価格的にも高かった。 従っておのずと、中クラスの商品をブレンドに使っていた。

来てみて初めて、グアテマラはコーヒー栽培に適した国であると実感する。

  • 1) 収穫が全て手摘みで赤く熟した実だけを穫っている。
  • 2) 土壌が火山灰で水捌けが良くアルカリ土である。
  • 3) 標高が高くアラビカコーヒー栽培に適している。
  • 4) 水が豊富で収穫後の水洗処理が理想的である。
  • 5) 水洗処理後のコーヒーが全て天日乾燥で行われている。

以上の事からもグアテマラが品質的にも美味しいコーヒーが出来ることが解り、 色々とカッピングさせてもらうと、確かにかすかな甘みを感じ、 すっきりとした酸味とまろやかなボデイが調和し、口の中に雑味を残さない美味さがあった。

各生産者ともグアテマラコーヒーに自信と誇りを持ち、価格はニューヨークのコーヒー相場より、 常に20〜50セントUPで販売しますと大変強気であるが、欧米のロースターはその価格でも買っていた。 日本は品質には大変うるさいが、価格は直ぐ値切る。 結果的には良い物は買えず、そこそこの物が日本には行くことになる。

それが現在では、スペシャルティコーヒーブームで グアテマラコーヒーは世界でもトップクラスに位置し、 オークションでは、グアテマラが一番にぎわっている状況化にある。 それは品質に対する要求をグアテマラコーヒーが満たしているからと思われる。 従って日本の若いコーヒー業界の経営者達がこぞってインターネットオークションに参加し、 グアテマラの素晴らしいコーヒーを競り落としている。 今ではグアテマラは日本でもトップクラスの高品質なコーヒーとして認知されている。

大好きになったグアテマラ

大変治安の悪いグアテマラであったが、アテンドをしてくれたグアテマラ三菱商事の河村氏も、 数年前にグアテマラを旅し、グアテマラ大好き人間になり、 そのまま住み着き、三菱商事に入った方で、 その彼との4日間で、私も土屋氏も楽しい旅をさせてもらい、 すっかりグアテマラ大好き人間になった。 その後グアテマラを2回訪れたが、別のグアテマラ大好き人間に2人に出会う。 2人とも河村氏同様、グアテマラを旅し、大好きになり永住してしまう。 日本人には何故かグアテマラが違和感が無く、肌に合うのは何故だろう? 私なりに解釈すると、<狭い国土と火山や湖の綺麗さ、緑溢れる高原気候、 素朴なインディオの人々などが、心に郷愁と安寧をもたらす>のでは無いかと思う。 当時グアテマラの裕福層では、スーツは既製品は高い、人を使って仕立てるほうが安い、 洗濯機は高い人を雇って洗濯させるほうが安い、 そのくらい先住民族インディオの人々は詐取されてきた。 現在は民主化が進みつつあり、治安情勢も大分良くなった。 9月23日、そんなグアテマラとも別れメキシコに向かう。

記:2004年9月

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