スペシャルティコーヒー豆 AKAGAWA

ペルー共和国〜日系移民が多い国〜

はじめに

ペルーと言えば、現在滞日しているアルベルト、フジモリ元大統領で良く耳にすると思う。 またアンデス山脈、インカ帝国、ナスカの地上絵等が良く知られている。

日本との時差が14時間あり、成田からの直行便は無くアメリカ経由で一番早くて23時間かかる。 日本の3.4倍の国土面積を持ち、南米ではブラジルに次いで日系移民が多い。

私は1973年、1983年、1988年と3回ペルーを訪問している。 一般の人にはあまり馴染みはないが、ペルーも相当量コーヒーが生産されており、 過去日本にも大量に輸入された。 味的にはあっさりしてコクもなく、あまり特徴がないことから、 ストレートコーヒーとして売られずほとんどがブレンドコーヒーに使われた。

3回の訪問時とも、左翼ゲリラ・センデロ・ルミノソ(輝ける道)のゲリラ活動が活発な時期で、 大変治安が悪く、一度もコーヒー農園はおろか、リマ市街から一歩も外へ出ていない。 クスコの街や、マチュピチュの遺跡、コーヒー生産地に行けなかった事が、今も心残りで残念である。

現在はフジモリ氏が大統領時に左翼ゲリラ・センデロ・ルミノソの指導者アビマエル・グスマンの逮捕など、 テロ対策を徹底し、治安の安定をはかった。

1996年12月17日、ペルー日本大使公邸で天皇誕生祝賀パーテイ開催中に武装グループが乱入し、 青木大使以下700名の人質を取り、公邸を占拠、 翌1997年4月22日ペルー国軍特殊部隊が武力突入し解決する。 その後、国内の治安は一応安定している。

リマ市内風景 リマ市内風景

一年中雨の降らない首都リマ

人口700万を超すペルーの首都リマは、チャラと呼ばれる海岸砂漠地帯に位置し、 年間を通してほとんど雨が降らなく、どんよりとした曇り空が多い。

日干しレンガで作った家々が途中で工事を終わり、 屋根にトタンや板を上げているだけの風景をよく見る。 雨が降ることが無く、資金的に余裕が出来るとまた工事を再開する。

リマ市内の高級マンションに囲まれた一等地にあるゴルフクラブでプレーをした時の事、 今日は昼食の後ゴルフをするが、しかし1時になっても2時になっても同伴者は腰を上げない。 3時になってようやくレストランを出る。 我々の感覚からすると、ゴルフをする時間ではないが、 ゴルフ場へ行ってみると誰もお客は居ない。 これなら軽くワン・ラウンド出来る、とようやく安心する。

ティショットを打っても打ってもフックする。 私はどちらかとゆうとスライス気味なんだが、 フックするのは、ゴルフ場に沿って道路が走っており、相当渋滞している、 その道路に沿って高級高層マンションが建ち並ぶ、植樹も低く、金網も無い、 それが気になって仕方がない、さんざんなスコアであった。

またフェアウェーが落ち葉やゴミで汚い。 余りにも至る所がゴミだらけなので聞いてみると、 雨が降らないのでゴルフ場のわきの水路をせき止めて、 水をグリーンの上まで溢れさせ、芝に水をやる。 なるほど我々に考えも着かない事で納得する。

リマ市の中心 マルマス広場に建つカテドラル前にて リマ市の中心 マルマス広場に建つカテドラル前にて(筆者・左)

5万体近い遺骨

サン・フランシスコ教会・修道院は、1567年から7年かけて建てられ、 その地下にはカタコンベ(地下墓地)がある。 階段を降りていくと、天井の低い暗い地下室に着く。 裸電球が照らす迷路のような道を進むと、どんよりとしたカビ臭い空気が立ちこめる中、 長方形の囲いの中に手、足の人骨ばかりが無造作に詰め込まれている。 さらに奥へ進むと、今度は丸く、深い井戸の様な処にシャレコウベと残りの骨が渦状に並んでいる。 これは植民地時代に葬られた一般市民のもので、地下3階迄あり5万体近い人骨がある。

リマ市内の寿司屋

ペルーは水産大国であり魚が豊富で美味しい。 市内には寿司を始めとする日本食レストランも多い。 1995年にペルーに行くまで、あまり寿司など食べれなかったが、 ペルーで本当の寿司の美味しさを知った。 (特にトロを食べたのが、このときが始めてである。) また、ペルーの代表料理<セビッチエ>白身の魚の切り身に、レモン汁、タマネギ、野菜、サラダ油、香辛料を加えたもので、 さっぱりして美味しい。

ペルーの飲み物では、黄色い色をした国民的ソフトドリンク<インカコーラ>が珍しい。

記:2003年9月

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